桜餅はひな祭りやお花見でよく見かける和菓子ですよね。
実はこの桜餅は「道明寺」と「長命寺」の2種類あることはご存知でしたか?
今回は道明寺と長命寺の違い、そして桜餅とひな祭りの関係などについてご紹介していきます。
桜餅の道明寺と長命寺の違いは?
まずは見た目や作り方の違いなどをみていきましょう。
道明寺
道明寺は別名「上方風」「関西風」とも呼ばれている桜餅です。
蒸したもち米を乾燥させて粗挽きにした粉を「道明寺粉」と呼びます。
この道明寺粉を使って作ったお餅を桜の葉で包んだものが「道明寺」と呼ばれる桜餅になります。
あんこがつぶつぶもちもちの生地でしっかりと包まれているのも、特徴のひとつですね。
長命寺
長命寺は別名「江戸風」「関東風」とも呼ばれている桜餅です。
小麦粉などを焼いて作った皮のような生地であんこを包み、それを桜の葉で包んだものが「長命寺」と呼ばれる桜餅になります。
道明寺はあんこがお餅でしっかりと包まれていますが、長命寺は薄いクレープの皮であんこをそっと包んだような形をしています。
このように道明寺と長命寺の違いは、材料と作り方、見た目にあるわけですね。
道明寺と長命寺の由来
ふたつの桜餅の見た目などの違いはなんとなく理解してもらえたと思います。
どうせなら道明寺と長命寺、それぞれの名前の由来も知っておきましょう。
道明寺の名前の由来
江戸で作られた桜餅が関西に伝わってくる過程で、小麦粉ではなく道明寺粉を使うようになったと言われています。
道明寺粉というのは、戦国自体にお寺の道明寺が神前に供えたもち米を使って作っていた糒が元となっています。
簡単にいうと保存食のようなものですね。
この保存食である糒の評判が高く、豊臣秀吉から令状を受けて「道明寺」と呼ばれるようになりました。
そしてこの道明寺と呼ばれる糒を砕いて粉末粉にしたものが、道明寺粉になるのです。
道明寺粉を使った桜餅だから、桜餅自体も道明寺と呼ばれるようになったのです。
道明寺粉は高価なので、代わりにもち米を使うこともあります。
長命寺の名前の由来
長命寺と呼ばれる桜餅は、上でも書いたように桜餅の元祖だと言われています。
当時隅田川の土手には桜の木が植えられており、春になると花見客で賑わっていました。
そんな多くの客で賑わう桜の落ち葉をみて、日頃から参拝客に手製の茶菓子をもてなしていた山本新六が1717年に桜餅を初めて作ったのです。
長命寺というお寺で初めて作られたから、お寺の名前がそのまま桜餅の名前になったのです。
桜餅をひな祭りに食べる意味!
今では「桜餅」には「ひな祭りに食べる」というイメージが浸透していますよね。
しかし、桜餅がひな祭りのお茶菓子として一般的になったのは昭和に入ってからだと思います。
では、なぜ桜餅がひな祭りに食べられるようになったのか?
次の3つの理由が考えられます。
- 桃の節句にちなんで…
- 端午の節句に対抗して…
- 菱餅の代わりに食べやすかったから…
ひな祭りは別名「桃の節句」ともいいますよね。
この「桃=ピンク」という部分に注目して、同じ桃色、ピンク色をした桜餅が食べられるようになった説。
また桃の節句は女の子の日ですが、男の子の日として端午の節句(子どもの日)がありますよね。
端午の節句には「柏餅」が用意されるのでそれに対抗?して、ひな祭りに桜餅が食べられるようになったという説。
今ではあまり食べられていませんが、ひな祭りに登場する料理として「菱餅」と呼ばれるものがあります。
これは桜餅と同じ桃色をしているのですが、桃色には「魔除け」の意味が含まれています。
そんな魔除けの意味が含まれている菱餅に似ている桜餅は、菱餅と比べるとともて食べやすかったんだそうです。
桜餅は食べやすい上に魔除けとして用いられる桃色が取り入れられている。
そんな理由から、桜餅がひな祭りに食べられるようになったという説。
このようにいくつか説がありますが、とにもかくにも「桜餅を食べて厄除けなどをして子どもに健康に育ってほしい」という願いから、桜餅がひな祭りに食べられているわけですね。
まとめ
実は日本に2種類存在していた桜餅。
あなたの地域で食べられているのは、道明寺?それとも長命寺?
ひな祭りにはそんな桜餅の違いや由来などを子どもに教えながら、一緒に口にしてみるのもいいですね。